Running night 00M 20S

実は、現在「月の夜」第一夜が「あいちアートの森」にて発表されています。
詳細http://aichiartnomori.com/
是非是非ご高覧を。
ほんと、ブログを全然書いてなかった。初期の計画は、、、
「語るべき事があるときは、語るべき時間がない、語るべき事がないときは、語る必要はない」
もう一度ブログ初めよーかな。2010年自分の語るべき事を見つけ。
明けましておめでとうございます。

Running night 00M 19S

表情について。
とある本を読んでいて、仏像の表情についての話を読んだ。
日本の仏像は、天平時代以前のものとその後のものでその表情が違うという話。
その原因は鋳造技術伝承の劣化云々上げられるが、
時代の移り変わりの中で、宗教が政治だった時代から、
政治と宗教という時代に移り変わった、ことが大きいとの内容。
図版の写真をみてもやはり天平期のものにはそのような感じがもやもやと。
そうかーと思っていた矢先、テレビでアルゴン地方の宗教画「栄光のキリスト像
と言う壁画を見たこれもまた、必然性というかを感じられる表情をしている。
強く優しい。
しかし現世は、、、これも最近テレビで見たドキュメント宗教名はあえて避けます。
一つの地域に住みながら、宗教の違いからいがみ合う二つの民族、
少数派の民族の方は政治的理由によって優護されている、その親達は子供に、
もう一方の民族そして、また同時に隣人に対して石を投げろつばを吐けと教えている。
そんな地域のドキュメンタリーの中で隣に住む少数派のおばさんが金網の向こうから、
「この売女、この売女、うるさい女ね」とつばを吐きながら叫ぶシーンがあった、
普通のおばさん或は、母親のその表情はちょっと衝撃的だった。
増悪に満ちた。
しかし、現代においてはこれも宗教の作り出す表情。或は、宗教だから出来る表情。
神と悪魔は表裏一体と分かるようになったのが現代なのか?

所変わって、ゲイパーティー表裏一体
所、変わって栄の映画館で色即じぇねれーしょんズを見た.仏像マニアみうら氏の原作
内容は「青春デケデケ」と非常に似ていた楽しい映画。
色々考えは巡る「色即是空、空即是色」しかししかし、

鹿とアミニズム、が気になりだした最近です。
じきに暑い夏も終わる、もう少し涼しくなったら、、、
秋だ、さんまだ、キノコだ、ゲイジュツダーと福岡食堂復活ののろしを上げたいところです。
夏の思い出と共に参加求む 。

Running night 00M 18S

先の週末金沢に行ってきました。
21世紀美術館「愛についての100物語」を見に。
実はこの展覧会を見に行くのは、今回で2度目。
一回目に見たのは確か6月だったかな?時間感覚が、、、
その時ぼくは、この展覧会に対して結構批判的な感想で
「愛」と言う言葉を使いながら、展示内容に「愛」
について核心をつくもの、或は「愛」を解体するものが、
「愛」のリアリティーが少ない。
これでは「愛」は客寄せパンダではないか。
さりとて作品は一流の作家ぞろいクオリティーはけして低くない。
しかし「愛」を命題とした作品と判断するべきかどうか?
別のベクトルから見るのが本来の作品の姿ではないか?
これは、キュレーションのミスなのでは?
しかし、キューレターもまたプロフェショナル.、展覧会は成功を納めるであろう。

そして、僕には「愛と美術とは?」
もしくは「美術で愛を表現する」という疑問が残された。
この問いは結構、尾をひいていて、気になっていて。

例えば他の表現分野、小説や映画は実に雄弁に愛を語っている。
僕の大好きな小説家ミラン・クンデラなんかあるインタビューの中で
「あなたの小説を読むためにチェコ歴史を知る必要がありますか?」
という問いに、「私の書いているのは純粋なラブストーリーです。」
深いお言葉、愛の物語こそが歴史であり中心的で全ての根源、、、ありがたやー

そして、二度目の今回はたまたま、古本屋で100円で見つけた「スプートニックの恋人」村上春樹
を読みながら金沢に向かう高速バスの中で、昔読んだ村上春樹の本の書評を思いだした(出元不明、記憶の嘘かも)。
村上春樹が現れるまで、小説は向かい会う形での恋人しか描いてこなかった、
しかし、彼の小説の中では恋人は見つめ合わず共に同じ方向を見つめている、
この愛の形、或は共感こそが世代の感覚をつかんだ衝撃だった。
そして、この愛は必然的にメランコリックを抱えてしまうのである。云々」
みたいな事を読んだ様な記憶がよみがえった。
確かに、クラブ、レイブイベント等のカルチャーが盛り上がり始めた、この時代の人々にとって共感、
共有が愛と非常に近いものに成る感覚や、メランコリックは、クラブカルチャーの中後半を見てきた
僕には理解しやすい感覚だった。

愛は変わったのかもそのくらいの時期に、、、

そんな事を考えながら見た二度目の21世紀美術館「愛についての100物語」は感慨深いものだった、
「美術にとっての愛は、未だに向かい会った二人」これが僕の感想で、
美術にとって向かい会い見つめ合う事は非常に重要な意味を持っていて、
或は美術と言う形式は向かい会っている事で成立していて、
上記した様な互いに同じ方向を向いてと言う感覚を示すのは難しいのか?
それを超えてもっと現代の愛とは?それは芸術が表現出来るの?
等と、考えは未だ解決をミヅ。

追記
コレクションには入っていない作品ですが「earliest human relatives」杉本博司
実物を見てみたいなー。
追記2
「スプートニックの恋人」には金沢でのラブも乗ってるぞ!!

Running night 00M 17S

記録と記憶
「私は記録、正確なのだ。」
ペットボトルはクリスタルグラスの様なカットを輝かせながら言った。
茶色い液体はぐるぐる回りながら「正確なのです」と訴えた。
まわしているサラリーマンは満足げ。
目の前に座ったOLはメールに「正解正解正解正解正解」と打ちつずける。
彼女は、全てが折り重なり花の周りに吸い込まれて行く。
地下鉄の壁は暗闇のふりをしながら歌う。
「白痴は記録を残しましょう、記憶は記録 ki-rock kirock
 記憶は記録で十分ですki-rock kirock」
記録に記憶が追い越されて行く。
記憶の寿命は?
記録の寿命は?
しかし、地下鉄もまた夜だった。

Running night 00M 16S

schwerkraft2009-01-05

明けましておめでとうございます。
お正月でしたねー。今年もなかなかハードでした。
ではでは、みなさん初詣はおすみになりましたか?
ぼくは、豊川稲荷に行ってきました。僕の住む町から少し距離があり、少しだけ旅行気分が味わえる距離、電車もJR。
思い起こせば、ぼくの出身地香川県ではJRの事を電車と読んでいました、特に僕の住んでた坂出を始め西讃地区ではJRしかなかったため電車と言えばJR、コンビニとはローソン(高校生くらいまで24時間営業の店は、ローソンしかなくコンビ二という体験はローソンしかなかった、高校生の後半にミニストップが出来てビックリ、大阪旅行のさいはampmにはまりました)、高校もJRに乗って約1時間、毎日通っていました、名古屋に出てきた時、電車会社がこんなにあることにかなり恐れをなし、栄生では何度騙されたか、上ばかり見ている毎日でした。
しかし、名古屋暦11年を迎える僕の主要移動手段は名鉄、地下鉄、それ故JRは旅の象徴性を持っていて少しの距離でもJRに乗ると旅に出ているような気がします、とはいえ上小田井よく寝過ごしますが。
JRで行く、瀬戸大橋、山陽本線の広島海の手周り、山陰本線、夏にはちょっと浮気の北近畿丹後鉄道、琵琶湖を一周湖西線なんて言うのもオツですね。
もう、10年近くお正月を実家で過ごした事なんてないのにお正月は何だかノスタルジーにかられます、各地各様の楽しいお正月を過ごしているのですがねー。
福岡食堂の正月メニューは
・里芋の白みそ柚子煮込み
・鹿熊の八角醤油煮、煮卵付き
等々もベーシック毎年、作っているような気がします。

Running night 00M 15S

schwerkraft2008-12-31

「No future」あるいは「ノーフューチャー」言葉の旅
この言葉をご存知ですか?
80年代、70年代はたまた60年代、Sex Pistolsの曲名
最近、この言葉を再び良く耳にします。
年末の恐慌などの経済状況などを指して、自分の状況を語る様な時なのか、プライベートの問題についてなのか、TVはどうでしょうか?TVを持ってない僕には皆無ですが、みなさんいかがですか?
きっと、もともと、50年代アメリカで生まれたビートジェネレーション→前ヒッピー→ヒッピー→→→→→→→→→→→→→→→ピーの流れが(ここめちゃくちゃ言葉の旅なんですがここでは削除します長くなるので)さらに流れ本来の意味から遠く離れ、まるで詩人の言葉がPOPソングに引用されるように変化していく中で、時代の雰囲気の様なものになってから、主に若者と呼ばれる世代から発せられた、言葉。曾孫の様な言葉。
その実、この言葉は、本質をついていました、人類の発展に最も大きな貢献を果たしたのは言葉による記録とそこから予測する未来、未来の予測をより高度に正確に先まで見通す、ことが人類の課題であり安定を生んだもの。また、その嘘の安定を見抜き、概知化された未来に反旗をひるがえし、つまり「月に吠える」吠えたのがビートなのですから。
みなさんはこの言葉どんな風に記憶していますか。きっと僕の世代の人は小さかった頃、ファッショナブルなお兄さん達(パンクを意識していたんだろうけど、今考えるとニュウーウエーブぽい、当時の日本のアパレル事情かなその後のプレミアブームにつながる)がインタビューカメラに向かって「俺たちノーフューチャーなんで」といっている笑顔を覚えているのではないでしょうか。
この笑顔、、、この言葉の意味は「未来なんか関係ねー、今を楽しむんだよー今を」そういう訳が当ると思います。
しかし、現代の「ノーフューチャー」は現在(今)さえ楽しめてない有様、延々先まで予測される未来、押しつぶされる現在。あれから数十年人間は何をしてきたのでしょうか?幸福とはそんなに難しいものなのでしょうか?
言葉が意味を変えながら旅をしています、しかし本当は未来なんか見えるものじゃない99.99%予測されたとしても0.01%は不確定、ゆらぎは生まれるのです!理解出来ない未来こそ本質、僕が目指すは未来を予測する人ではなく、未来を想像する人、ビート風に言うならば「トリックスター」ニール・キャサディー、、、未来に向かってトリックを仕掛けていくのです。2009も面白いぞー
今夜は、カウントダウン呑んで踊ってはじけるぞニール・キャサディーくらい!!来年は真夜中にやって来る!!さーさーナイトピープル行ってみましょう!!
ではでは、残り少ない今年をお楽しみアレー。  グーテ ナハト
中沢新一「三位一体モデル」ほぼ日ブックスを読破、本を読む時間があるのはいいですねー

三位一体モデル TRINITY

三位一体モデル TRINITY

Running night 00M 14S

もう少し、今年について。
今年も色々ありました。
楽しい出会いの数々、旧友からの嬉しい報告。
また、それと同じ数くらいの悲しい別れ、変わらない現実。
来年に向けて、未来に顔を向けるために、あえて悲しい別れの話。
ピーター・セラーズ1号」の話。
僕のここ数年来の愛車「ピーター・セラーズ1号」は、アメリカからの刺客、ピーターのものでした。
彼は長い日本滞在を終え、日本を後に、故郷への旅に出る直前、僕の手編みマフラーに目を付けました。
交渉を繰り返し、彼のサンプラービーチクルーザーを、僕のマフラーと友情に交換する事を決めたのです。
条件は、アメリカでマフラーを付けて歩く事、そして別れのせまる彼を惜しみビーチクルーザーを「ピーター1号」と名付ける事。
しかし、ながら「ピーター1号」は中々ボロボロでピーターさえも前オーナーから譲り受ける際、相当手を入れたそうで。
僕のものになった時もチェーン切れるなどえらい状況で、チェーンを変え、タイヤを変え、シートを変え、、、、、中高級自転車一台分くらいの修理を重ね、ついにはビーチの心臓部コースターブレーキまでも完全交換にいったりました。
このとき自転車の色風貌から僕の大好きな映画「ピンクパンサー」の終演コメディアン ピーター・セラーズより、名前を頂き「ピーター・セラーズ1号」と名付けたのです。
問題が起こるたびに近所の自転車○におもむき、気の会わない店主とばちばちしながら、なんとか生活を共にしもはや生活の一部となっていた相棒「ピーター・セラーズ1号」。
しかし、別れは突然やって来るもの。その朝、その朝、目を覚まし、少しいつもよりもゆっくりコーヒーを飲み、いざ出陣。扉を開ければ朝とやつが待っている、、、、ない、、、え、、、、これは夢、、、悪夢。
いつもならば彼と共に片道20分のバイトまでの道のりを1時間半、完全な遅刻、事情報告、慰めの言葉、落ち着かない心、帰り道の1時間半、各駅への自転車置き場巡り、きっと出て来る、失望の繰り返し。
悲しい事件。
しかし、幸運にやさしき友人の力強い協力により、マウンテンバイクを借りる事が出来、翌日よりの日常を支える事が出来ています。
そう、幸運にも、、、あれから三ヶ月季節も変わり、捜索も限界、全てを失った様な気持ちになった、あの日から僕も新しい出会いに向けて前向きに新しい出会いをさがしています。「ピーター・セラーズ1号」は絶対にスクラップなんかになってないきっと何処かで快調に軽快に疾走していると信じて。
新しい出会いはあるのです、年末僕は新しいオピニオンになる様な自転車屋を発見しました、なかなか最高の店で世界で一台の宮田の手作り自転車など見るだけで楽しい自転車達が揃っています、嬉しい事にパーツ関係も充実かなり古い品揃え。その自転車屋を発見時新たな相棒を作るぞと決心させるものがありました。店主に話を聞き、手付け的にRUDY PROJECTのオールドサングラスを購入。
来年こそは自転車を作るぞー!ホームページも作るぞー!作品もバンバン作るぞー!幸せな家庭も、、、ちょっと調子に乗り過ぎました。兎に角 グーテ ナハト